2011年3月9日

▲軍艦島上陸▲


暖かくなったと思えば寒くなり、今日は薄着でいいかと思えばまた裏切られる。
ことごとく自分の予想が当たらない不思議な天候に踊らされているチカですこんにちは。


さてさて、私、先日お休みを頂きまして長崎へと行って参りました!!

今回の目的はなんといってもあの「軍艦島」でございます。

忘れもしない、私が学生の頃、本屋さんで軍艦島の写真集を見て以来、その時の衝撃が忘れられずずっと訪れてみたいと思っていた場所でした。

今回3日間の滞在と日数に少し余裕を持たせたのも、全ては軍艦島の為。
というのも、軍艦島は桟橋から上陸するので天候によって上陸できず周遊のみ(ツアー自体キャンセルだってあります)になってしまうことが多々あるからなのです。

軍艦島ツアー前日はまさかの一日中雨。
当日の天気が心配でしたが目覚めてみれば、あらま青空さんこんにちは!(晴れ女の本領発揮!!)
しかし、天気がいいからと喜べません、全ては波の高さで決まります。
この日もギリギリまで無理かもなぁという空気の中、船長さんが頑張ってくれました★
夢の軍艦島上陸!!(しかし、島までの船内はそれはもうすごい揺れでした。酔いやすい人は酔い止めマストです。確実に酔います。)




島に降り立った瞬間、鳥肌が立ちました。言葉を失う風景というものに久しぶりに出会いました。
元々小さな島だったこのが、埋め立てられ、炭坑が掘られ、高層アパートや学校が立ち並び当事5000人以上の人がこの小さな島で生活をしていました。



今は無人島となっているこの軍艦島、当事賑わいを見せていた建物たちは全て朽ち果て台風などで崩壊していっています。それがなんともいえない雰囲気をかもし出しております。
言葉にしづらいですが、私に言わせるとなんだか色っぽい感じです。魅力がありすぎる。

当事は600mくらいまで地中深く掘り進め、劣悪な環境ながらもたくさんの人が働いていました。鳥かごのようなもので一気に下降して行く時の恐怖は大の大人でさえもお漏らししてしまったり気絶してしまうほどのものだったようです。

ガイドの方と一緒に島内を周るのですが建物の崩壊が進んでいるので実際に歩けるのは当時炭坑で使われていた場所がメインとなっています。
当事の住民の生活の中心となっていた場所は遠くからしか見れないのですこし残念。



説明しようと思ったらキリが無いので、気になる建物をいくつかご紹介。
ココは当事の小学校と中学校の後です。4階までは小学校、それより上は中学校として使用されていました。7階建ての学校だなんて、当時ここがマンモス校だったことがわかります。
幼稚園もあり、そこには素晴らしい日本庭園もあったとか。

まったく緑の生えない島といわれていたこの場所で、当時の住民は日本で初めての屋上緑化を始めました。全てはココで生活している子ども達のため。
自分達で土を運び、野菜や米、小麦などを栽培していたようです。


これは日本で最古の鉄筋コンクリートの高層アパートです。中心には中庭があり上から見ると口の字型の構造になっています。

炭坑での仕事は、劣悪な環境でありまた常に命の危険にさらされている仕事でした。
この竪穴炭坑より人々は地底の仕事場へと向かい、仕事を追えこの階段を下りてくることで今日も無事に仕事が出来た、生きて帰る事ができたという気持ちになったそうです。



常に身の危険と隣り合わせな仕事なだけあって、給料は良く、当時の人々の生活はとても裕福なくらしでした。テレビが普及し始めた時代でしたがこの島内でのテレビ普及率はとても高かったそうです。島内には映画館やパブ、パチンコなど娯楽施設もたくさんあったようです。
(唯一なかったものは火葬場とお墓だそうです。)


軍艦島に滞在したのはほんの1時間30分ほどでしたが、とても充実した濃い時間が過ごせました。
建物は崩壊していき、廃墟となっている島ですが、当時の生活を聞きながら島を巡っているといろんな思いがあってとても興奮している自分がいました。

最初は十分な資源があるとわかって多くの人がこの地で働き生活をしていました。
しかし、その資源は続くことなく端島は閉山し人々はこの地を離れました。
なんだかこれからの日本の事を暗示している気がしますとガイドさんの言葉が心に残りました。この言葉とても心に残ってます。



この軍艦島から学ぶことはもっともっと沢山あるのでしょう。
皆さんも、一度行かれてみてはいかがでしょうか??

2 コメント:

わぁ~。私も行ってみたいんですよね、軍艦島。ステキなレポート、ありがとうございます!!

ガイドさんも元島民の方だったと思いますが
説明に少し間違いがあるようです。
石炭が取れなくなって閉山したわけではなく
日本政府のエネルギー転換政策(石炭→石油)により、石炭の需要が減った為、及び落盤事故の危険性も高かったので、やむなく閉山/全島民離散となりました。
端島の海底炭鉱(地下800m以上)にはまだまだ良質な石炭が眠っています。

父が落盤事故で死にかけた事があるほぼ最後まで島にいた元島民より