2014年5月30日

日本人はなぜ英語ができないのか?



  日本人は英語が苦手だとよく言われます。6年間の勉強は一体なんだったんだ、などという嘆きの声や、日本人なんだから英語なんか必要ない、という怒りにも近い諦めの声をよく耳にします。

  ゲストハウスで出会う外国人のお客様によく言われるのは、「キミ英語すごく上手だね!留学してたの?」というお決まりのほめ言葉。こういうお言葉を受ける度に、いかに「日本人は英語をしゃべらない/理解できない」と決め付けられているのかを実感します。そして悲しいことに、その認識は決して間違いではないのです。

  ではなぜ日本人は英語が「できない」のか。要因はひとつではありません。

1.  そもそも日本語と英語の言語的な差異性が高い。
2.  インプット(暗記・翻訳)中心で自主性が欠如した英語教育。
3.  日本の経済力(国力)が国際的に見て高い故に外国語教育の重要度が他国と比較し高くない。
4.  3に加え、日本は海外留学をしなくても母国語で高等教育を受けられる、つまりすべての物事を訳書でもって学べる世界的に見ても稀有な国である。
5.  根強い単一民族・単一文化論。
6.  控えめな国民性と周囲による同調圧力。
7.  過度な英語コンプレックス。

Etc.

  日本の英語教育の問題点については語りつくされている感があるのでわざわざそれを論じるつもりはありません。ここで強調したいのは、67。日本人の英語力が低いと言われている最大の要因は、英語教育以前の問題だと私は思うのです。

  ジェイホッパーズには英語圏の方のみでなく、実にさまざまな国籍の方がいらっしゃいます。最近はアジアの国々のお客様も非常に多いです。

  スウェーデンやドイツなど英語と同じゲルマン語圏かつ英語教育の水準が高い国の人たちは、若い人のみならず年配の方でも非常に流暢な英語を操っています。もちろん皆がみな英語が得意というわけではありません。特に英語との言語的距離が遠いアジア圏の方々は、決して英語が流暢とはいえません。しかし、非英語圏の外国人の方々に共通して言えるのは、自分の英語のレベルに関係なく、皆さんとにかく「話す」ということです。思いっきり母国語なまりの英語であろうが、文法的に間違っていようが、すらすらと言葉が出てこなかろうが、とにかく自分の言いたいことをきっちりと主張し、聞き手とコミュニケーションを取ろうと試みるのです。自分の英語が流暢でないことは百も承知で、でもそれで当然だ、理解しない方が悪いんだ、くらいの心持でいるように感じます。

  一方で日本人はというと、ほとんどの方が英語に対して悲しいほど消極的です。「英語が不得意」であることを必要以上に恥じ、「英語出来ないんで!」と最初から拒絶反応を示してしまっている方も見受けられます。

  ゲストハウスに泊まるという選択をされる方のほとんどが、外国人の方との国際交流を希望されているのですが、中には「ここに泊まれば国際交流できるんですよね?」と過度な(そして他力本願な)期待を寄せて来られる方や、「英語がもっとしゃべれるようになってからまた来ます…。」と肩を落としてチェックアウトされる方などがいらっしゃいます。そういった方々を見るにつけ、日本人の性質というものがいかに英語上達の邪魔をしているかを感じずにはいられません。

  まず、日本人が抱く英語が「できる」人の基準というのが高すぎると思うのです。アメリカ人のように「ペラペラ」としゃべれなければすぐに「英語が苦手なんで」ということを言ってしまう。ネイティブスピーカーのように自由自在に英語を操るのは、海外生活が長かったり親が英語圏の人などといった特異な例を除いてはほぼ不可能です。日本で生まれ育った日本人が「ペラペラ」としゃべれなくて当たり前なのです。うまく言葉が出てこないことや文法の間違いを犯すことに対して恥ずかしく感じたり、ましてや「ペラペラ」な日本人を見ては引け目を感じ、英語を発することをはばかる必要など一切ないのです。

  文法的な正確さやネイティブのように「カッコよく」しゃべることにばかり意識し間違いを恐れていたのでは、いつまでたっても英語を自分たちのものにすることはできません。インド、タイ、マレーシア、インドネシア、中国、など多くのアジア圏の方々は、日本人が「きれいな英語」に固執し苦しんでいる間も、着々と英語を自分たちのものにしつつあります。彼らの英語は、母国語のなまりがきつかったり、文法が正確に言うと間違っていたり、オリジナルの英語表現が生まれていたりと、決して「きれいな英語」とは言えないかも知れません。しかしこれでいいのです。分かりにくい発音であったとしても、彼らは高い語彙力や積極的に意見を発する堂々たる姿勢によってネイティブスピーカーに引け目を取らず会話や交渉をこなしています。
  英語はもはや英語圏の人だけのものではありません。私たち日本人も、馬鹿にされたってジャパニーズイングリッシュで通せばいいのだと思います。発音や文法は二の次、まず自分の意思を伝える意欲と積極性を持つこと、そして語彙力と表現力を磨くこと。”You know””What’s up”をかっこよく使うことに気を揉む前に、まずは自分の意見を自信を持って言える人間であること。その意見が正しいか正しくないかは関係ありません。英語力向上を考える上でこれほどまでに基本的かつ重要なことはないです。英語が話せるようになったとしても、話す中身がないのであれば全くもって意味がありません。
  あまり主張をせず控えめであるのは私たちの美徳でありますが、英語を学ぶ上ではこの控えめな性格は非常に厄介です。

  日本人特有の同調を求める性質も、国民全体の英語力向上を阻害している大きな要因のひとつです。皆さんも経験があるかと思いますが、中学校の英語の授業で、皆の前で教科書の朗読をさせられることがよくありました。そこでいわゆるカタカナ英語ではなく、なるべくネイティブに近い発音で読むたびに「発音がいい」とクラスメイトの嘲笑の的になり悔しい思いを何度もしたことを覚えています。とある帰国子女の生徒は、普通の英語の発音で読むといじめられるので、授業ではなるべく日本人っぽく読むようにしていた、という話も聞いたことがあります。

(「いい発音」を小ばかにする風潮がある一方で、多くの人が「ペラペラ」な英語に強い羨望の眼差しを向けるというのも滑稽な話ですが。)

  日本人はどうしても「他人と違う」ことに対し抵抗を感じてしまいます。「空気」を読み、「個」を押し殺し、「全体」に合わせる。それはいつ自然災害が起こるかもわからないこの狭い島国で長く培われてきたある種の生きる知恵であり、それによって自然発生した「和」を重んじ助け合うという素晴らしい長所があるのですが、他文化圏の人達とコミュニケーションを取る上ではこの長所も弊害となってしまいます。日本人の美徳や精神を否定したいわけではありませんが、母国語でさえも自分自身の意見を積極的に発することがあまり歓迎されない雰囲気が社会に蔓延している限り、いくら早期英語教育に力を入れたところで税金の無駄遣いです。
  異を唱えず、空気を読み、同調する能力を幼い頃から叩き込まれた私たちにとっては容易なことではないのかも知れませんが、「皆それぞれに違う人間で、違う思想や信条に従い生きており、個々の意見が尊重されるべきだ」という考えを私たち一人ひとりが当然のように持てる社会づくりがまず必要なのでしょう。とどのつまり、これも日本の教育を変えなければ成し得ないことなのかも知れません。

  日本人は英語ができない、なんていうのは嘘です。効果的な英語教育と英語に対する認識の変化が必要なだけだと信じています。
  アメリカ人やイギリス人の英語を目標にひたすら真似しているようではいつまでたっても「ワタシ英語デキナイ」のまま。ジャパニーズイングリッシュ(私たちの英語)を確立しましょうよ。自分たちがしゃべりやすい英語でいいのです。コンプレックスなんて感じる必要はありません。恐れず自分の意見を発する心の自由さと、他人の意見や間違いに寛容になれる心の広さを身に付けられれば、私たち日本人は素晴らしい国際人になれるはずです。

・・・なんだか熱く語ってしまってしまいました。


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