写真について思うこと


  
 この季節になると、京都各所の寺院で紅葉のライトアップが催される。秋空をバックに見渡す紅葉は文句なく美しいが、暗闇に浮かび上がるもみじというのもまた違った趣があり、観光客を惹きつけてやまない。その幽玄さは日本人の琴線に触れるのであろう。

 京都は東山、「もみじの永観堂」で有名な永観堂禅林寺のライトアップを見に行ってきた。
 実は私はこの名刹のすぐ近くに住んでいるので、散歩がてらに夜桜ならぬ夜もみじもオツだろゥと思ったのだ。人混みを避けるために平日の受付終了時間ぎりぎりに駆け込んだものの、丁度見頃を迎えていたせいもあってか、見渡す限り、美しく照らし出されたもみじとそれに群がる人、人、人。

 皆、大層にカメラを抱え、ベストショットを撮ろうともみじと睨めっこ。水面に映る紅葉が非常に幻想的な放生池の前では、ガイドブックで見た写真と全く同じ構図で撮ろうとする人の列までできていた。「オニイチャン、ちょっと邪魔やしのいてくれへん」なんて声も聞こえてくる。風情も何もあったものではない。かく言う私も、一眼レフを大げさに構えてシャッター速度や絞り値についてああだこうだと頭を悩ませていたのだから始末に終えない。




 写真は好きだ。写真(photography)は、人類が発明した最も優れた記録様式ではないだろうか。19世紀初めに写真技術が発明されてからというもの、私たちはその利便性のみならず芸術性においても、写真のとりこになっている。ましてや近年のデジタル写真技術の発展には目を見張るものがある。カメラの性能はもとより、簡易性、可搬性においても目覚しい進化を遂げ、写真について全くの素人である私のような人間でさえ、ある程度のモノが何となく撮れてしまうのだから、プロの写真家にとっては忌々しい時代なのだろう。

 最近では「スマホ」なるもので、非常にアーティスティックな写真が文字通り片手間に撮れてしまい、人々は皆芸術家にでもなってしまったかのようにインターネット上で自身の「作品」を披露し合っている。自分の心に留まった情景をすぐさま切り取って世界中の不特定多数の人間と「シェア」出来るのだ。デジタルは情報社会との相性が非常にいい。
 
 写真はいいものだ。芸術家、大いに結構。でも、たまに感じるこの違和感はなんだろう。

 当然な話だが京都も常に写真日和という訳にはいかない。運悪く天気が優れない日に当たってしまったお客様の中には、この世の終わりでも見たかのような形相で降水確率を尋ねてくる方もいる。写真を撮りたかったのに、雨じゃあ一体どこに行けばいいの。写真を愛する者として、お気持ちは良くわかる。せっかく準備万端で京都に来たのに、天候で打ち砕かれるその心中お察しするのだが、カメラという媒体を介して表現(記録)すること自体が目的と化しているのはいかがなものだろう。

 写真という装置が生み出される以前の人々は、この感動を忘れまいと、フィルムの代わりに目と心に情景を焼き付けた。歌を詠み、画を描き、その感動を人々に伝えようとした。勝手な想像だが、目にした情景に対する自分の感情に正直で、感受性も豊かであるが故、表現の自由度(創造性)も高かったのではないだろうか。せっかくの紅葉が雨で台無しだと嘆くのではなく、雨に濡れるもみじの葉に風情を感じ、一句詠んでいたのだろう。はたまたふと故郷を懐かしみ一筆したためていたのかもしれない。もしくは、単なる私の途方もないノスタルジズムなのかも。

 嵐山の竹林の道で、自身で描いた絵葉書を路上販売している仙人のような出で立ちのご老人がいる。彼は細い筆一本で京の四季折々の風景を描きあげる。息を呑むようなその繊細な描写と色使いに、私はひと目で彼の作品のファンになってしまった。自分も絵を描くのが好きだと伝えると、その仙人は私の目を見て言った。「お嬢さん、自分の五感と心で描かなアカンよ。」

 私はちゃんと心で表現できているのだろうか。ファインダー越しに世界を覗きながら、ふと考える。


コメント

tamtam さんの投稿…
オツだろゥ ←この書き方が杉ちゃんっぽいというか、昭和歌謡っぽいというか、、、(笑)

ちなみに私、学生時代に写真を専攻していましたが、その当時お付き合いしていた人が時代をさかのぼっているかのような古典派の画家でして、「お前に職を取られて悔しい」と言われました。一体どうしろと?
Saori さんの投稿…
Tam san
オツだろゥ〜?
タムさんの男性遍歴は幅広いですな!
waruida さんの投稿…
いいですね~
ジェイ京都は3人とも独特の個性ある文体ですね。すごいな。
さおりんの文体は旧仮名遣いにしたらより似合いそう


最近では「スマホ」なるもので、非常にアアテヰステヰツクな写真が文字通り片手間に撮れてしまひ、人々は皆芸術家にでも成つてしまつたかのやうにヰンタアネツト上で自身の「作品」を披露し合つてヰる。自分の心に留まつた情景を直様切り取つて世界中の不特定多数の人間と「シヱア」出来るのだ。デヂタルは情報社会との相性が非常にいい。写真は良いものだ。芸術家、大ひに結構。然るに、たまに感ぢる此の違和感は何だらう。
Shin さんの投稿…
スマホなるものがまだなかった十数年前のインド旅行。大抵の外国人旅行者は流行りだしたデジカメを持っていた。

写真を撮って撮ってとせがむインド人に「なんでお前はカメラ持っていないんだ?」と良くきかれた。

その度に自分の頭を指差して「ここにあるよ」と言っていた。

ワイルドだろぉ?
Wakana さんの投稿…
わたし昨日竹林の森の翁に遭いました。トンボ売りの横にいる人だよね?
Saori さんの投稿…
おお!次回からはこれでいきます
Saori さんの投稿…
そんなワイルドしんちゃんも今やニ児の父に。
日々子供達の写真を撮るのに明け暮れております。
Saori さんの投稿…
多分その人です!神社のわきで商売してはります

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