さよならシネラリーベ
今年も残念ながらアカデミー賞にはノミネートされませんでした
ジェイホッパーズ京都のかりー(しばた)ですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
来年こそは、ホアキン・フェニックスとトミー・リー・ジョーンズと私による
大人のSF三角関係をミヒャエル・ハネケに監督してもらおうと思っている今日このごろです。
ホアキン・フェニックス
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トミー・リー・ジョーンズ
映画といえば、
新京極通りで唯一、単館映画館として踏んばっていた「新京極シネラリーベ」が
2月15日(金)をもって
ついに
ついに
ついに!
閉館することになりました。
がーん
新京極通りといえば
今ではすっかりイケてないお土産屋街に成り下がった感が否めないですが、
昭和50年代まではあちこちに映画館が軒を並べ、
「西のハリウッド・東の新京極」
と言われたとか言われていないとか(多分言われていない)。
当時は大小あわせ20軒弱あった映画館。
今はそのほとんどがショッピングセンター、薬局、ネットカフェや居酒屋などに姿を変えています。
八千代館という伝説的成人映画館でさえも下着屋や玩具屋ではなく、微妙な古着屋へ。
時代は遷り変わるものだしそれに即して人は生きていくものですが、
古くなったものを新しいものに変えるとき、
それに取って変わるべき価値があるのかどうかと考えてみること自体が
すっぽり無視されている感じがするのはわたしだけでしょうか。
(あ!でも、映画なんてどうでもいいよという人にとっては、
古い映画館の代わりにショッピングビルができるほうがいいのかもしれない・・・)
「今まであったものを壊してまでそこに新たに存在する覚悟」
みたいなのが、いろいろ新しく登場するもののほとんどから欠けているなぁと感じます。
快便安というゴールは案外つまらないのかも。
(↑「快適・便利・安い」です。「快便」で区切らないよう注意!)
映画館にしたって最近は、
お尻がとろけてしまうくらいすわり心地がいい椅子が登場していますが、
全ての映画館の意識がそこに傾倒しすぎてしまうと次第に
映画館は無個性になるし、観る側も映画館に飼いならされてしまいます。
たまには岡本太郎の椅子みたく、映画館にも人間に媚びない椅子があったらいいな。でもそれはそれでやっぱりいやだな。うん。
坐ることを拒否する椅子
まぁ、ノスタルジーに囚われていても仕方がないので
毎朝かかさず浜村淳のラジオを聴き、
水野晴郎の笑顔でも思い出しながら、
来年こそ助演女優賞をとれるよう精進しようと思います。
コメント
子供の頃は映画は最後部や通路で立ち見が当たり前で、次の上映から座って観たもんです。今みたいに指定席とかじゃなく一日中映画館に居れました。古き良き時代でした。( ¨)遠い目