21世紀的ホタルの光

京都駅前の某大型電気チェーン店でヘッドライトを買った。
精算のとき「ポイントカードもってますか」と聞かれたので「もってない」と答えると、そのカードがいかに便利でお得かという説明を受けだが、「作りますか」といわれ「いらない」のでそう伝えると、
このカードを作らないとわたしがどれほど損失を被りうるかを丁寧に説明され、でもいらないものはいらないと言うと、
「ほんっと~にいいんですかぁ~?」と念押しされた。
オタク特有のやや上から目線で。むかついて危うくお釣りをもらい損ねるところでした。


みなさんいかがお過ごしですか。ジェイホッパーズ京都のかりー(しばた)です。



発作的にホタルがみたくなった。
梅雨入りしたばかりの京都は雨が降っていて、3時まで待つと更に激しさを増してしまったけど、雨具をきて自転車にまたがった。
嵯峨野へ向かった。
ヘッドライトを持っていこうかと言う考えが脳裏をよぎったか、「だいじょぶでしょ」という軽い気持ちに打ち消された。


まず沢ノ池へ寄ってみた。
といってもドライブイン的な感じの「寄る」ではなく、山道を自転車を担いだりなんかしながら上る。池にたどり着いた頃には、全身が汗と泥と雨にまみれて濡れ鼠もいいとこだった。
池にはいってしまおうかとも考えたけど、風邪をひくといやなのでやめた。
その代わりに持って来たインスタントコーヒーの粉末を池の水で溶かして飲んだ。
「お湯で飲む方がおいしい」とわかった。


ホタルの登場を待ってみたけど、雨が降ってきたし日没まで時間があったので、あきらめて清滝へ寄って帰ることにした。
といってもドライブスルー的な感じの「寄る」ではなくて、川沿いの、ちょっとした崖のイメージに近い砂利道を進む。気がつけばあたりが暗くて急に不安になる。自転車にはライトがついていない。避けようとすればするほどタイヤは石の側面を滑り、何度もバランスを崩した。  


左半身につよい衝撃を感じた。転ぶ、と思った次の瞬間身体は茂みの中に落ちていて、すぐ横にさっきまで乗っていた自転車が倒れている。下には川が流れていた。倒れた体勢で頭に浮かんだことは、なぜか冒頭の電気屋でのやりとりだった。
ヘッドライト持ってくればよかった、という後悔が店員を責める思いに転嫁したのかもしれない。たぶん。

同行者の姿はすでになく、ここにはライトのない自転車と自分の(それもたいしてよくない)視力が残されているだけだ。

こわい

と感じた。
人工の灯りがないこと、携帯電話が通じないこと、ポケットの中の1万円がここでは何の意味も持たないこと。

街灯の下に同行者の姿を認めたときはえもいわれない安堵が胸の奥から湧きあがってきた。まるで底なしの恐怖がわきあがってくるときのそれみたいに。同行者の姿はもちろんだけど、街灯という人工の灯りがあることがこんなにも心強く感じるとはわたしにも驚きだった。

堤防とか予報とか除草剤とかを生み出して、わたしたちは自然を人間の側に寄り添わせることに成功したけど、濡れたままでは風邪をひくし池の水を飲んだらおなかを壊すしヘッドライトがないと自転車で転んでしまう、自然界ではとてもとても不都合な生き物なのだとこのとき改めて痛感した。

何も知らない同行者は街頭の下で蛍の光を口笛で吹いていた。
わたしはホタルの光なんかで本を読んだことなんてないし、たぶん読めないとさえ思う。
そんな暗さで読み物をしたら目が悪くなってしまう。暗すぎて眠たくだってなるかもしれない。
それはひととき鑑賞して喜ぶもので、実用的な灯りは結局、
電機屋でこつこつポイントを貯めながら購入するのがわたしの生活なのかもしれないと思った。


  








コメント

Chika さんの投稿…
>その代わりに持って来たインスタントコーヒーの粉末を池の水で溶かして飲んだ。
「お湯で飲む方がおいしい」とわかった。


かりーちゃん、粋だね!笑