愛宕山千日詣り

どうも、休兵衛のさおりです。

先日、以前からいつかは挑戦したいと思っていた愛宕山への千日詣りを体験してきました。

千日詣り、正式には千日通夜祭といい、7月31日夜から8月1日未明にかけて、愛宕山頂上(924m)にある愛宕神社を参拝すると、千日分の火伏・防火のご利益があるとされる京都の夏の一大イベント。毎年数万人の参拝者で約4kmの参道(登山道)は埋め尽くされます。

独りでひっそり頑張ろうかと思っていましたが、休兵衛のお掃除スタッフまりなちゃんに話をすると、是非行きたいですとの力強い返事。せっかくなので、お客さんの参加も募って皆で行こう!ということになりました。
7月31日の京都はいつにも増してうだるような暑さ…。参加予定だったドイツ人のカップルは、日中の酷暑が堪えたのか結局参加を断念されました。参加メンバーは、私、まりなちゃん、台湾人のアキラくんとヨーズくん、そしてなんと翌日が早番の休兵衛マネ・みっちーの5人。


お掃除後少しの仮眠と腹ごなしをしてからいざ出発。18時過ぎに四条京阪前から京都バスに乗り、バスに揺られること一時間強、車窓からの景色ががらりと変わり、気づけば車内は登山客でいっぱいになっていました。

今現在はバスか車でしか愛宕山の麓まで辿り着けませんが、話によると、昔は嵐山駅(京福電鉄)から清滝駅を結ぶ「愛宕鉄道」(3.4m)が通っていたそうです。開通は昭和4年(1929年)、現在、鉄道線路跡は清滝街道 として府道になっています。旧清滝駅跡に現在の清滝のバス停があり、遺構は殆ど現存していませんがバス停に至る手前の「清滝トンネル」は鉄道のトンネルだったものがそのまま使われているようです(なのでとても狭い)。愛宕鉄道開通後、清滝川駅~愛宕駅の2kmを結ぶ「愛宕山ケーブル」も開通し、当時としては日本一の長さと技術水準を誇ったそうです。当時、愛宕山山頂付近にスキー場もあり、ケーブル愛宕駅にはロッジホテルもあったというのですから、このあたりは当時は京都でも有数の観光地であったことが伺えます。しかし昭和19年(1944年)2月、軍への鉄材供出の為に愛宕鉄道と共に廃線となりました。愛宕駅から愛宕神社まで上りもきつく距離もあるため、愛宕駅~愛宕神社をロー プウェイで結ぶ計画もあったそうですが、予算の関係からか実現しませんでした。 
ちなみにケーブル愛宕駅とロッジホテル跡は今は廃墟と化しており、廃墟マニアの間ではちょっとした名所のようです。


すっかり日が落ち、清滝川の流れが山々に響きます。


いつもは静まり返っているであろう山の麓は、この日ばかりは登山客で賑わっていました。

日没後少しは気温が下がるかとの期待は見事に裏切られ、じっとりと重い空気の中、蒸し暑く生暖かい風が、参道前に立つ私たちの顔をなぞりました。初っ端からいきなり結構な坂で、背後からは「もう帰りましょうか」というアキラくんの爽やかなひと声。お年寄りや子どもの参加者も多いと聞いていたのでハイキング感覚でいましたが、思っていたよりもキツイ道のりであることに程無くして気がつきました。

しかしここまで来て引き返す訳にもいかず、多くの参拝者のお尻を追いかける形で黙々と上り続けました。登っても登っても頂上はまだ遠く、そろそろ半分くらい来たかなと思っていたら「7/40 ガンバレ」の看板…。

私は登山は好きな方なので、大量に汗をかきながらも息が上がる事はありませんでしたが、みっちーはというと登山開始早々勢い余って食べたカロリーメイトとソイジョイがいけなかったのか、半分行くか行かないかあたりで腹痛によりギブアップ。翌朝の事を考慮し、先に下山することになりました。


みっちーに別れを告げ4人になった一行は、しりとりで寂しさを紛らわせながらひたすら歩き続けました。「20/40」の地点を過ぎるとしばらくは緩やかな道が続き、半分頑張ったご褒美に綺麗な満月と夜景を望むことができました。

水分補給をこまめにしながらひたすら歩を進めること3時間弱、いい加減しりとりにも飽きてきた頃、ようやく遠くの方に提灯の灯りが見えてきました。やったぁゴール!と足取りが軽くなった次の瞬間その灯りがさらに上へ上へと続いていることに気が付き、愛宕大神に鼻で笑われたような気がしました。

しかしどんなに辛くとも、辛抱強く歩き続けていればいずれ終わりがくるのが登山というもの。



境内は文字通り老若男女でごった返していました。

3歳までの子どもが参ると、その子は一生火難から免れる徳を得るという云われがあり、小さな子ども連れの参拝者も目立ちました。おぶわれた赤ちゃんも、自分の足で頑張る小学生も、誰も泣いたり文句を言ったりせずちゃんとお参りしていたのには感心しました。


火伏せ・防火の神様をお祀りする愛宕神社といえば「火迺要慎(ひのようじん)」のお札。
京都の一般的な家庭の台所にかなりの確率で貼ってあり、飲食店などでも見受けられます。休兵衛や実家用に何枚か購入。(一般的なサイズは小で400円、もう一回り大きいのが大で500円)
台湾ボーイたちはおみくじを引き、「恋愛」「待ち人」の部分にくぎ付けになっていました。





ひと通りお参りを済ましたものの、まだ11時前。夜明けまではまだ時間がありすぎるし、御来光は諦めて下山しようかと考えましたが、下山しようにも皆疲労困憊といった感じで、とりあえず休憩することに。藪の中でこそこそと新しいTシャツに着替え、コンビニで買い込んだおにぎりやお菓子を貪り食い、仲良く一列に並んで提灯と人の流れをぼーっと見て過ごしました。

腹が満たされると次にくるのが睡魔。兎にも角にも疲れがピークだったので、覚悟を決めて朝まで寝ようという決断に至りました。
しかしどこを見渡しても私達と同じように寝床や座れる場所を求め彷徨う人ばかり。やっと見つけた空いている休憩所は、近くの公衆トイレの強烈な臭いに耐えられずあえなく断念。レジャーシートやテントまで持ってきている用意周到な人たちを横目に見て、人一倍準備だけは万端だったみっちーのことをを心の中でひそかに馬鹿にしていた自分を恥じました。せめて、レジャーシートだけでも置いていって貰えばよかった…。

お賽銭を奮発して300円入れたおかげか、人ひとり寝れる大きさの比較的綺麗なベンチを奇跡的に3つ見つけ、2つは私とまりなちゃん、残り1つは男子2人に分け与えることにしました。

変な夢を色々見た気がします。「さおりんさん、さおりんさん、もう4時過ぎてますよ」というまりなちゃんの優しい声で目が覚めました。寝る前は真っ暗で何も見えなかった辺りの状況が朝の光で徐々に照らされ、4時間もの間こんな処で爆睡できた自分の図太い神経に軽く感動を覚えました。



眼下に広がるかすんだ空と生い茂る木々に囲まれ、どこから見えるかわからない御来光をとりあえず東の方角を向いて待っていました。
5時をまわったころ、少し離れた一角で「あ!見えた!」の声。その声に引き寄せられスマホやカメラを片手に朝日を捉えようと押し寄せる人々。



木々の間にぼんやりと浮かび上がる毒々しいぐらいの真っ赤な太陽。朝靄のおかげか、今まで見たことのない幻想的な日の出を拝むことができました。この時ばかりは、重くとも一眼レフを持ってくるべきだったかと後悔しました。






一通り日の出の写真を撮ってから下山。帰りはしりとりする余裕もなく、無言で歩を進めました。
ヨーズくんが人一倍無言だったので、大丈夫かと尋ねたら、なんと10日以上前に富士登山した際飲んでいた水を捨てずそのまま今回も飲んでいたらしく 、げっそりした姿で「オナカイタイ」と言っていました。(ちょっと笑ってしまった)
昨日ベンチ占領してごめんね。もう100円お賽銭しとけば良かったかな。

途中、ちょうど昨夜満月を拝んだ場所から、美しい雲海を見渡すことができ、愛宕さんに「ご苦労様」と言われたような気がしました。夏に雲海を見るなんて初めて。



行きの半分の時間で下山完了。 清滝川の透き通った流れを見てほっとし、心が洗われるようでした。京都バスと阪急で京都市内に無事帰還。まりなちゃんとアキラくんはその数時間後に休兵衛のお掃除。ご苦労様でした。

とっても疲れたけど、いい思い出になりました。皆さんも是非挑戦してみてください。













コメント

Yoshi さんの投稿…
さおりん、みっちー、まりなちゃん、よーずくん、あきらくん、皆睡魔にも負けず、本当にお疲れ様でした!皆のパワーはすごい!!