あのカフェ
こんにちは。広島ジェイホッパーズのMariです。
広島は夏の終わりに雨の日が続き、ああ、もうこの雨と共に夏が終わって、いよいよ秋になるんだなと思っていた矢先、ここ数日はまた真夏の様な暑い天気が続いています。秋は何だか寂しい気持ちになるので”夏よ、まだいてくれ”とひそかに願っております。
さて、カフェに行った時はまだ暑いのでアイスコーヒーを注文しています。カフェに足を運ぶと必ず思い出すことがあるのでが、数年前にオーストラリアのメルボルンに滞在していた際私はかっこいいから。という理由だけでどうしてもカフェで働きたかったのです。30枚ほどコピーしたレジュメを握りしめメルボルンにあるカフェの全て、片っ端から配るぞと意気込んでドキドキしながら1件目に入り、レジュメを渡しました。すると、”明日から来れる?”と言われ、食い気味で”もちろん!”と返事をしなんと1件目で仕事をゲットしたのです。
次の日出勤してみると、カフェは週末でいつも来る常連のお客様で大賑わい。あたふたしていると”モニカ、これ持っていって” ”モニカ、カフェラテ作って運んで” と言われ、作ったこともないカフェラテやスムージーを見様見真似で作り運ぶという日々が始まりました。グリーンスムージーの注文が入った時はもう絶句。メニューを見ながらニンジン、スピナッチ、ジンジャーと順に入れていくのですがなんせ作ったことがないので半分以上ジンジャーになったままでとんでもなく辛そうだったり、ものすごく不健康そうな色のスムージーに仕上がったり、毎回ひやひやしながら提供していました。ちなみに私の名前はマリコなのですが何度言っても覚えてくれないインド人の同僚は私の事をいつもモニカと呼んでいました。直すのも面倒なので、私はその日からモニカとして生きていくことにしました。
そのカフェはオープンキッチンでコーヒーやデザートを作っているところがお客様から丸見えの作りだったので緊張しているのがばれないように、あたかも私はここでずっと働いているよ。といわんばかりの風貌で堂々とコーヒーを作っていました。もちろんそれまでコーヒーなんて作ったことはなく初心者だったのですがなんせお店は真夏の繁忙期で人が足りなかったので全部初日から任されました。今思うと、カフェ文化の浸透したメルボルンで舌の肥えたお客様に全くの初心者の日本人モニカ(偽名)が作ったコーヒ―を提供していたなと申し訳ない気持ちになります。きっともう会うことはないけれど私の作ったコーヒーやスムージーでお腹を壊した人がいなければいいけれどと願うばかりです。今でもカフェに行く度、そのカフェでの経験を思い出すのです。
ちなみにそのカフェ、私は他の州に引っ越すことにしたので辞めてしまったのですが、数カ月後メルボルンに戻った際、お礼も兼ねてみんなに会いに行こうとお土産を持ってワクワクしながら足を運ぶとなんと店内はもぬけの殻となり窓は新聞紙で覆われていたのです。そういえばマネージャーが数カ月間だけ故郷に帰ると言っていたけどそれを機に閉店したのか?今も真相は謎のままです。なんだか母校がなくなったようなしんみりした気持ちになりながら家に帰ったのを今でも昨日の事のように覚えています。あのカフェは幻だったのか?と感じるのですが、そこで一緒に働いていた女の子からもらった髪飾りがあるのでああ、あのカフェは幻ではなかったんだ。と確信するのでした。
当時の思い出を振り返ると嬉しくなってなんだかとてつもなく長い文章になってしまいました。今回の話が好評でしたらこのカフェでの出来事を連載化しようと思っております。笑
「そのカフェでモニカの作ったコーヒー飲んだよ!」「あ。あの時の!」等ありましたらお便りお待ちしております。
ではではまたお会いしましょう。その日まで皆様お元気で。
2019.9.7 モニカ
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