地図から消された島、大久野島
皆さんは大久野島という島を知っている、または聞いたことがあるでしょうか?
私は生まれも育ちもほぼ広島なのですが、最近までこの島の存在を知りませんでした。恥ずかしながら。
大久野島は、瀬戸内海に位置する島で、芸予諸島の一つです。
ジェイホッパーズ広島のある広島市内からは呉線を乗り継いで2時間弱でしょうか、竹原と三原の中間ぐらいにある、忠海という駅からフェリーにのって行くことが出来ます。
毒ガス兵器は、1919年のベルサイユ条約、1925年のジュネーブ協定で、各国が使用禁止を約束した兵器でした。にもかかわらず、日本は国際条約に違反して大久野島で秘かに毒ガスを製造し、戦争で使用しました。
この島は、毒ガス製造工場が建てられた1929年から1945年の敗戦まで、秘密の島として地図からも消されていました。小さな島ですが、戦時中には、病院、50箇所もの防空壕、毒ガス製造工場、毒ガス研究室、毒ガス貯蔵庫、発電所、点火試験所、三箇所の砲台、技能者養成 所、この島で働くもののための宿舎などがあったようです。
陸軍大臣の許可のあるもののみが上陸を許されたこの小さな島で、びらん性毒ガス(イペリット、ルイサイト)やくしゃみ性毒ガス(赤筒)、青酸ガスなどが製 造されたのです。いまは休暇村が建設され、プール、テニスコートなどがあります。休暇村本館の裏山には、現在も海水タンクが残っています。海水を蒸留し て、工場用水、生活用水として使っていました。
今では当時の毒ガス製造の名残である建物が廃墟となって島内に点在しています。
中には当時の電力をまかなう為に立てた発電所跡も残っています。(上部写真参照)
敗戦前には前の広場で女子動員学徒による風船爆弾の製作が行われたそうです。
この風船爆弾、侮る無かれアメリカまで届いたという記録もあるようです!! 驚きですね・・・。
そして毒ガス貯蔵庫だった場所。
ココには100トンタンクが6基置かれていたようです。終戦後、毒ガス処理の為に、焼却処理が施されました。外壁が今だ真っ黒になっているのが当時の凄まじさを物語ります。
そして今では国民休暇村なども出来て、家族連れや学生さんの合宿等多くの人に利用されています。
海はとっても綺麗で、キャンプ施設なんかもあるようでした。また別名「ウサギ島」といわれるだけあって、フェリーを降りた瞬間沢山のうさぎに出会えます!
野生のようですが人懐っこくてとっても可愛かったです。家族で来ていたちびっ子達は大喜びしていました★野菜を持参すれば良かったなぁ。。。。
また島内には、毒ガス、化学兵器の恐ろしさを訴えるために「毒ガス資料館」もあります。
中では、毒ガス製造にいたるまでの経路、製造していた毒ガスの方法、当時の作業員の制服等、少数ですが展示があります。そこでは製造に関して知識のない人が毒ガスに対して無防備な状態で危険な仕事をしていたのもわかりとても痛まれない気持ちになりました。
また終戦後は、毒ガスの処理は海や地中への投棄、また多くの毒ガスが中国へ捨てられました。そこでもまた知識のない人が被害にあいました。
私はこの島の存在を知るまで、広島で平和について考えるきっかけといえば原爆ドーム、原爆資料館という考えしかありませんでした。でも今回この島を訪れて、日本が過去に行ってきたこと、そしてその事実は1984年まで日本では殆ど知られてなかったという事実、今もそれによって苦しんでいる人が存在すること、世界にもまだ化学兵器を持っている国が沢山あるということ、色んな思いが自分の中でめぐりました。
長くなってしまいましたが、広島にある負の遺産の一つとして、原爆ドームを訪れるとともに一人でも多くの人にこの島を訪れてしって欲しいなと思います。
コメント
世界人類が平和でありますように。。。
是非是非、パスカルさんも行ってみてくださいませ!
また今度~
もっと知らないといけないことがいっぱいあるね。勉強してきます!
この日記を機に大久野島の存在を知って訪れてもらえれば、とっても嬉しいです。広島をもっともっと開拓していきます~!!