帰省と決断
相変わらず効率のいい空港を出て、ほぼ一年ぶりの香港に足を踏み出すが早いか、むしむしとする空気に包まれた。まだ五月なのにと嘆き、どんよりしていた灰色の空をぼんやりと眺め、いつもの香港だなと懐かしい気分になった。でも、あまりにも蒸し暑くて、その気分に浸る余裕もなく、すぐ足を急がせ、一刻も早く冷房の効くバスに乗りたく、いらいらしい気分に変わってしまった。それは香港の長い夏の日常だ。十五分ほど天然屋外サウナを苦しみ、すぐでもシャワーを浴びたい気分でバスに乗り、二階建てのバスの窓越しに次から次へと、見慣れた山や道や高層ビルに目に映り、そしてすぐ後ろに去っていった。しかし、見覚えのない建物や店も少なくなかった。それはもちろん賃金高騰のせいだ。特に飲食店はありえないほど上がっていく賃金に潰されたりするのが日常茶飯事だ。その中でも、地元の人に愛される老舗はどんどん消えていく現状はこの上なく残念なことだ。行きつけの店がまだ営業しているかどうか、心配の気持ちがいっぱいだ。ドライバーさんの運転はやや乱暴だが、ありがたく全速で疲れていた私を空港から自宅のある北角という地区に運ばれ、窓外の都会の密林を眺めたり、考えに耽ったりする自分が、気がついたらもう着いた。香港の夏といえば、蒸し暑さの次は、ゴキブリだ。幸いなことに、真夏の降臨はあともうちょっとさきのことなので、活躍しているゴキブリの量はまだ少ない。真夏の時、道を歩いたら、ひっくり返り仰向けに死んでいるゴキブリや、急に現れ、道を急ぎ足で横断する、もしくは最悪、あなたの顔に全速で飛んでくるゴキブリは、毎回も毎回もほぼ確実に遭遇する。それも香港の夏の日常だ。そして、バス停からうちのドアまで、私はゴキブリの死体1匹しか遭っていないことにハレルヤを心の中に叫びながら、一年ほど使っていない鍵をまわし、我が家に入った。ただいま。
親孝行を怠り、親の期待を裏切り、わがままで、故郷の香港と家族を背に日本に行った自分は、一年ぶりに家に戻った。両親は変わった様子もなく、元気で、なによりですが、不孝な自分は両親と再会してからすぐ爆弾を2箇投げかけた。ひとつは、私はできれば香港に戻らず、ずっと日本に生活したいこと。もうひとつは、私は結婚することと孫を捧げることを期待しないでのこと。そう、日本にいる皆さんは嫌でも私が粘強く日本に生き残るつもりだ。取り柄はあまりなく、煙たい存在である私だが、どうか、どうか、受け入れてください(すくなくとも追い出さないで)。最初はたしかに一年ぐらい日本で働く悲願を達成してから、満足し、帰国する予定だったが、どうも人類(もしくはイアンという人物)はそんなに簡単に満足しない。まさに後戻りができないことだ。高山はあまりにも居心地よく、住むスペースはあまりにも広く、住民はあまりにも親切で、しかも水も山も道も桜も雪も紅葉も空気もきれいで、大都会である香港は、そういったところはどうも高山に比べ物にならいない。また、ここでまだやりたいこといっぱいある。親が描く、安定な仕事につき、そのまま退職まで働くという理想的な未来図はどうも私には合わない。順風満帆に生きていけないかもしれないけれども、もしそれは自分が納得できる道のりなら、波乱万丈の人生を歩くのも悪くはない。きっと、きっと、道しるべを見えてくると思う。そう確信する。もうすぐ日本で2年目を迎え、生活を楽しめながら、いろいろと試し尽力で頑張りたいと思う。そして、恋愛さえ恵まれていない私だが、親には申し訳ないけれども、結婚については、まあ、急ぐことはない。とりあえず、今を楽しく、有意義で生きる。
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